「先生、A君(中3)は家で宿題を全然してこないので、塾で答えを写させているんですが、ずっとこれでいいんでしょうか。」
講師(国語担当)の方は、答えを写し続けさせていることに罪悪感を感じるというのです。とっても真面目な方なのでその気持ちはわかります。
私は
「いいですよ。」と言って、
講師の方に自信をもって指導に当たるように激励しました。
志義では、その子の学習レベルに応じて指導をしています。
その子が家庭で宿題ができないのであれば、塾ですればいいし、
提出できないのであれば、答えを写してでもいいから提出すれば良しとしています。
(指導する側にはかなりの覚悟がいりますね。)
「それは、偽物の勉強だ」
と言われそうですが。それしかできないのであればそれで十分だと思っています。
まず、A君には期限どおりに宿題を提出してもらうことを優先させます。
自分で考えて問題を解いてということはその次の段階です。それは、授業の中で指導します。
数学では、2次関数の比例定数をさまざまな条件のもとにもとめる授業をしました。
昔のA君なら、式を書くどころか、考えることもほとんどしなかったでしょう。しかし、最近は変化しています。
今日の授業では、間違いもありましたが、ちゃんと途中式を書きながら幾つかは正解していました。
個人的には、感動的なシーンです。
A君には、「おー、できてるね」と言うと、彼はうつむいているだけでしたが、すこし照れ笑いしているように感じました。
塾に来るたびに、「また宿題しとらんとか」と言われるのと、「きちんと写したか。よし、OK」と言われるのでは気持ちのありかたが全然違うと思います。
「そげな、生ぬるい指導は、せんでよか。」というスパルタ嗜好の方は、志義には最初から入塾されないと思います。
(「うちの子が、ぼーっとしとったら、叩いてもよかけん、勉強させてください、先生。」と以前はよく頼まれていましたが、
最近は志義の指導方針が浸透してきたせいか、そんなサディスティックな要望を唱える保護者は見かけなくなりました。)
最初は「偽物の勉強」でも、「続けていると本物に変わる」というか「化ける」ときが必ず来ます。
そう信じて指導をすると、本当に化ける瞬間に立ち会えるので面白いです、この商売は。